今までの時代は、身分と言うものが大きな幅を寄せていた。
はるか、昔はいい身分に生まれれば死ぬまでいい暮らしができた。
昔はバレーにいるんで、生まれれば死ぬまで悪い身分で過ごすことになっていた。
貴族に生まれれば一生貴族だし、低い身分に生まれれば這い上がる事はほぼ不可能だった。
そんな中、現代においてだんだんと自分と言うものが意味をなさなくなってきた。
近代においていい会社に入るいい大学に入る。そうしていい身分になってしまえば死ぬまでいい身分でいられるようになるはずだったよ。
しかし、いい身分になったのにこともあろうか、リストラと言うものが出てきた。
まだ身分の低い者たちが、自分でネットで起業とかして、自由な時間で稼いだりするようになった。
身分の高いはずの人たちが重労働に会うようになり、また価値観が多様化して島に移住してのんびり暮らすのでも良いと言う人まで現れるようになってしまった。
しかも、それでも案外良い暮らしができたいですようにまでなってしまったのだ。
そうすると、身分の高い身分になった人たちが、だんだんと自分たちの身分に疑問を呈するようになってしまった。
身分の高い自分たちよりも、身分の低い人たちの方が、なんだかうらやましい暮らしをしていたりする。
身分の高いはずの自分たちに与えられたのが賞賛でも、羨望の眼差しでもなく、ただの激務とリストラに怯える日々ときちっとした立ち振る舞いだけが残されるようになってしまった。
そうなると、現代において身分の意味がなさなくなってきてしまった。
皆が身分の高いところを目指すから、身分の意味があるのであって、誰も尊敬してくれない誰も羨望の眼差しを向けてくれない残ったのは激務だけでは身分の意味がないではないか。
本質的には有利な方を
だから、正確に言うと、身分の高い方を目指すと言うよりは、有利な方を目指すと言う方が、現代においては賢い選択になるだろう。
価値観が多様化しているので、身分の高い人を必ずしも尊敬崇拝をするようにはならなくなってしまった。
また、お金の面でも、必ずしも自分が高くなくても実力によって稼げる人も出てきているからだ。
そうなると、何らかの形で、自分の力で収入を得る力を身に付ける人が、これからの時代有利になっていくだろう。
自分自身で生活の流れを作りたいものである。
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