実は人も物もすべてのものは常に変わり続けている。
昨日決意した気持ちも今日には変わっていることも良くある話だし、一緒に働く人の感じや態度も昨日と違うことは実は当然よくあることだ。
自分の今のきもちだっていつもと違うなんてことはざらで、むしろ違うのが当たり前なのだ。
というのも人は行動する。発言する。何かをする。
そうすると周りの人はそれに対して影響を受ける。
そうするとその人はその影響をまとって次の人と接する。
そうして変化の連鎖はどんどん隣の人に伝播していくのだ。
上司が今朝奥さんと喧嘩をしたとすると、その上司はその雰囲気をまとって会社にやってくる。
そうするとその影響は部署全体へと伝播する。
そうしてへとへとになって帰ってきた部下は嫁さんの行動にイラっとしたり。
それを見た嫁さんはイラっとしたり。
こうしてすべてのものは連鎖して変化し続けるのだ。
恋人のきもちも変わるだろうし、もしかしたら自分のきもちすら変わるかもしれない。
だからそういうものの中でも気持ちを持ち続けることは結構価値があると思う。
そういう中でも続いていく仲は縁があるという。
縁はその時限りのこともあるしくっついたり離れたりする縁もあるし、ずっと続く縁もある。
ただそういう変化の中で唯一少しだけ努力できるのは自分の行動だ。
自分の思いもうつろいゆくものであるけれども、それでもたびたび自分の心を対象に向けることはできる。
いやになったりもするだろうけど、それでもほおり投げださず再び筆をとることはできる。
恋人が同様のことをしてくれるかはわからないが、少なくとも自分がどうするかは多少は努力できる。
どちらにしろすべてのものは常に変化していることを前提として理解しておくと少しは生きやすくなるかもしれない。
嫌な人はいなくはならないかもしれないが、その立ち位置も変わる。
変わらなくても自分が変わってしまえばいいだけだし。
自分が強くなればその関係も変わるだろうし、すべてのものは変わる以上自分が変わることも当然可能だからだ。
いじめられっ子が努力して強くなるなんてことはよくある話だし、転校したら状況が変わるなんてこともある。
少なくともいじめられっ子の立ち位置が移動するたんびにそのポジションに常に移動して常時いじめられっ子として不変のものにならなくてもいいのだ。
変わればいい。
確かに強気な時と弱気な時があって平均すると弱い性格というものもある。
だけど日々トレーニングしてより強気な時と強気な時で平均するとおおむね強気な性格になることはできる。
人は変動するけれどもその変動域を自分の望むものにすることはできるのだ。
もしあなたが常時強強しい状態でいられるのなら、周りはあなたを強い人であるとして扱うだろう。
少しづつでもいいので自分の望む自分へと変化していくのが良いかと思われる。
まる
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