幸せであるか幸せでないかの分岐点

幸せであるか幸せでないかは自分が一番良く感じているものだと思う。

しかしどうしてその状態かというのはわからないし、わかったとしても状況的にそうならざるを得ないというのもあると思う。

言ってしまえば状況が幸せ状態あるいは不幸せ状態になっているがゆえにそうであるとしか言えない。

そうしてその状態はそういうめぐり合わせになっているからであって、個人として介入できるのかという点もある。

ただ一つ思うことは幸せなんて追い求めなくてなんにも考えずに生きていたらそれは幸せなんじゃないかと思う。

人間意識しなければ案外楽で意識した途端ギアが噛み合わなくなることが多々ある。

だから感じとしてはいい流れが来ていてそれに身を任せているときに幸せは感じると思う。

あとしんどい状態から良い状態に状況が変わったときも幸せに感じる。

どんなときも幸せでいられるか?

どんなときも幸せでいられるかといえば可能なんだろうけど、なかなかむつかしいと思う。

どうしても状況は変化するし、自分の気持ちも変化する。

忙しい毎日の中でストレスを感じずにいられるかといえば難しいし。

今この記事を書いているのは休みの日の夜だからゆったりとして書いているから幸せだけれども、これを明日からまた仕事が始まって余裕を漕いていられるかといえば疑問。

いわゆるコンフォートゾーンの中にいるから快適なんだけれども、コンフォートゾーンは徐々に狭まっていくから、常にコンフォートゾーンの外に出てゾーンの拡張を行わないといけない。

その時にも幸せを感じていたいが。

取り組んでいくものが見つかると

自身の取り組んでいるものが先の見通しが立つとちょっと幸せの確度が上がるのは感じる。

多少のことがあっても幸せは強度を増す。

これは軸というか芯というものだと思う。

臍下の一点をセットする

ヘソ下の10cmくらい下の内部に臍下の一点という想像上の点があるのだが、そこを意識の上でセットしてその後忘れて眼の前のことに取り組んでいるとなかなか精神が安定して良い気がする。

これはコンフォートゾーンの外に出る時に役立つから一度試してみて。

それでは。

まる

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