競争の舞台から降りるということ

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どうも物事は深く付き合うごとにみな舞台へ上がりたがる。というよりも熱中しているうちに皆が舞台へ上がるようになる。そして舞台へ上がったはいいがどのようにして振る舞えばいいかわからなくなっている。

僕も人と付き合うときにどのように振る舞えばいいかわからなくなることが多々ある。そして精神を総動員してその場を乗り切るのだが後で滅茶苦茶疲れる。というのも物事の当事者になっているからなのだ。僕が思うに一番良い方法は傍観者どこか客観的に物事見て判断できる立ち位置なのではないかと思っている。自分がその人本人になると客観性が失われ自分がどうしたらいいかわからなくなる。大切なのは客観性なのだ。

そのために何が大切かというと降りるということだ。その勝負から降りるということだ。もちろん最終的にはその集まりに影響は与えていくのだけれどもその争いに巻き込まれないということが大切だ。会が始まると同時に降りてしまい冷静に見れるところから意見を言うのだ。プールサイドで上から意見を言うと上から目線になってしまい非難の矛先がこちらに向くが、舞台の下から意見を言うのなら冷静な意見として受け取られる。

だから集まりに参加しつつも開始と同時に舞台から降りるのだ。当事者になってしまってはどうたち振る舞えばいいかわからなくなってしまう。どこか客観的に見るためにも早々に舞台から降りるのだ。たいていみな当事者意識を持っているしどうにかしなきゃと思うほどにみなふらふらと舞台に上がりだす。そうして舞台はどうしたらいいかわからない人たちの集まりとなる。そこは一歩引いて早々に競争から降りて冷静に会に参加しよう。それが実際には十二分に自分の力を発揮できる最良の方法なのだ。

これは会社の同僚と話すときや家で家族と話す時恋人と話す時近所のコンビニの店員と話す時どんなときにも言える。みな今は当事者意識が凄まじいから心がパンパンだ。どのようにすれば大丈夫なように振る舞えるか常に気を張っている。常に舞台の本番さながらのようだ。即興劇を次から次へとこなしているようなもので気が休まるヒマがない。解決策は早々に舞台から降りて必要な振る舞いをするだけだ。自分が常に渦中の人世界の中心であると思ってしまうと世界を背負っていかなくてはならない。かっこいいけどとても疲れる。早々に舞台から降りよう。降りれる人が結局は美味しいところを持って行けれる。降りよう。くれぐれも巻き込まれてはいけない。ネットの記事でも読んでいるうちにネットの記事と一体になってネットの記事そのものになって自分を見失ってしまう。それくらい今は情報が溢れかえっている。すぐに自分を見失いやすいのだ。降りるです。

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