あきらめるより脱力のほうが良い

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物事を諦めるというのは物事に対するこだわりを捨て身軽になることなのだけれども、それでものすごくスムーズに動けるようになると、言葉の上では諦めると言いつつ心のなかではもっと取ってやろうとなってしまう。

結局は表面的なものではなくて本質的なものがこの世では物を言うので、単純に諦めると言っても実際には全然あきらめていないという状態になってしまう。

これにより執着が発生するので結局は苦しくなってしまう。

なぜだかはわからないが執着が発生すると心が苦しくなってしまう。

これは個人的なものではなくて全人類共通のものだろうと思う。

それでは諦めるというのでも意味はないのか?

諦めるというのはとても良い手法だけれども実際に自分が諦めれているか諦めれていないのかは一見すると見分けがつかないので手法としてはあまり使えないかもしれない。

そうなるとやはりいいのは脱力ということになる。

体は嘘をつかないからだ。

緊張すれば体はこわばるし、力めば肩に力が入る。

だから観測対象としては体に力が入っていないかを見たほうがより安全だ。

ただ脱力がよくても肝心の心がついていかないこともあるので万全とまではいかない。

どんなに体が受入体制が整っていても心が疲弊していてはとても取り組めたものではないからだ。

だけれどもどちらにしろ自分の状態が最優先なので結局は脱力をメインにしておいたほうが良い。

エゴによる罠はとても巧妙なので私たちはすぐ騙されてしまう。

心の構えは目には見えないので余計騙されやすい。

それに対して体の脱力は少しはわかりやすいのだ。

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