もちろん自分が害を受けているのを我慢してはいけないが、世の中の多くのこだわりをまいっかで済ませれるようになるととても楽になる。
物事をこういうふうにしたいこうありたいこうであるべきだといったこだわりを手放す。
まいっかどうでもいいかまあなるようになる。
こうした状態になるとかなり強い。
そしてそうなった人には周りもあまり害を及ぼすことをしなくなる。
害を及ぼしてもまいっかで済まされると与えた側のほうがダメージを食らうからだ。
こちらが害を与える、相手が反応する、そしてお互いが憎しみ合う。
こうしたときにはそれほど害について考えないものだ。
むしろ相手からの反応を見てお互い様だとも思うかもしれない。
やったりやられたりだからだ。
しかしこちらが害を与えても全く反応がないとなんだか悪いことをしたような気になる。
だから周りもそういったことをしづらくなるのだ。
こうして周りからのダメージを減ってくる。
そしてこちらから害を与えないと周りも人が寄ってくる。
まいっかで済ますような人には周りも安心して近寄れるからだ。
世の中は案外お互いに反応しまくって生きている。
こう思われるんじゃないかああ思われるんじゃないか、こう思ってるんじゃないかああ思ってるんじゃないか。
それがまいっかで済ます人はそうしたことを気にしなさそうなので周りも楽なのだ。
そしてそういう人にあえてこちらが害を与えると与えた側のほうがダメージを食らう。
だからまいっかは最強なのだ。
もちろん何でもかんでもまいっかで済ましているとたとえ済んだとしても済ませたほうが安心できない。
だからまいっかは最強の技だとしてもちゃんと礼節はわきまえたほうがいいのだ。
そしてそういうこともわかってくるからまいっかが使える人は案外穏やかな感じになってくる。
じゃあ、こうしたまいっかはどうやったら身につくのだろうか?
ずっとそれを追い求めてきたはずなのについてみたらなぜついたのかはさっぱりわからない。
追い求めていればいつかはたどり着くとしか言えない。
もしかしたらその道中でこういう場合はどうなのかああいう場合はどうなのかといったことには答えられるかもしれないが、要はそういったことの集合体として全体として集まるとまいっかといった境地になる。
だからこれをしたらまいっかになれるということはないのだけれども、まいっかを追い求めてその過程で身につくすべてのことが大切なのだと思う。
こうなってほしいとかこうあるべきだといったこだわりが抜けたとしたら多分とても楽になると思う。
そしてそうなって初めて物事が思い通りに行くのだと思う。
もしかしたらまいっかで済ましているから思い通りすらしないのかもしれないけれども、かなり良い状態にはなると思う。
だから最終的にはまいっかに落ち着いたほうが人生が生きやすくなるのだ。


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