どこで何をするかどんな思いをするかどういう対応をするかはすべて決まっている。
僕たちは超リアルな映画を見ているにすぎない。
嫌な上司が登場するのも決まっている。
それに対して嫌な気持ちを抱くのも決まっている。
見返してやると努力することも決まっている。
その結果上司を超えることも決まっている。
だから努力したのはあなただけれどもそれはそう決まっているから。
そうである利点はなにか?
全部自分の力で切り開いてきたと思うと状況が進むにつれどんどんと重くなっていく。
次は失敗したらどうしよう?
このまま鍛え続けるしかないのか?
終わりのない旅路となってしまう。
そうすると苦しい。
そこに対する解はこうだ。
やるのは自分だけれどもそうなることは決まっているということだ。
そうなることで自分では人生を背負わなくて済む。
もちろん自分がやるのだがやることは決まっているので自分は背負わなくて済む。
どう進んでいくかも決まっているからあなたの責任じゃない。
あなたが決めたとしてもそう決めることはあらかじめ決まっているからだ。
そのリアルな感覚を味わうためのゲームとしてこの世が存在している。
私たち観客はそのリアルな責任や恐怖を直に感じる。
その感情は感じるようにできているがあらかじめ感じるように仕組まれているからそういうゲームなのだ。
そういう意味では私たちはこの世に一切介在できない。
介在しまくっているかのように見えてすべて決まっていることなのだ。
なにか悪いことをしてその人が報いを受けてもその人を攻める必要はない。
その人はそういう演技をしただけなのだから。
そういう配役であってその人はそういう選択をせざるを得なかったのだ。
逆にあなたが何かをしたことを誇る必要はない。
あなたはそういう配役だったからだ。
あなたがすごいわけでもない。
だからすべての人はすごいわけでも悪いわけでもない。
ただそういう役なだけであってそれはこの世というストーリーのシナリオの話であって、私たちはそれに沿って過ごしているだけだ。
だからあなたがすごいわけでもあなたが悪いわけでもない。
私たちは過ごしているだけだからだ。
だから世界は完璧に完ぺきにできている。
このとんでもない人生も完璧にそうなのだ。
この利点はすべてが完璧に起きているとするならば私たちは一切ジタバタする必要がないということだ。
一切の責任もないし一切のジタバタする必要もないし、一切なにかする必要もない。苦しむ必要も喜ぶ必要もない。
もちろん責任も感じるしジタバタもする、苦しいときもあるし、嬉しいときもある。
だけどそれは全然あなたのせいじゃないし、ただ起きていることが起きているだけなのであなたは一切責任を感じる必要はない。
そうなると重さがなくなる。
責任を感じる場面では感じるが終われば終わる。
ジタバタするときはジタバタするけれどもそれが終われば終わる。
苦しいときは苦しいけれどもそれが終われば終わる。
嬉しいときは嬉しいけれどもそれが終われば終わる。
全ては一瞬一瞬で片がついていく。
どんどん蓄積するものがないのだ。
自分が人生を切り開いてきていると思うと次は何だと思う。
どんどん苦しくなっていく。
成功すればするほど苦しくなっていく。
自分の積み重ねで人生がどんどん影響を受けているかのように感じられる。
しかし全ては決まっているとすればやることはその時その時の一瞬一瞬なだけだ。
それは全て自分の責任ではないので私たちはその配役を味わうだけになる。
そうした時すべての重さはなくなる。


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