世間の山というのはいわゆる王道というものだ。成績で一番になるとかスポーツで優勝するとかクラスで一番の美人と付き合うとかだ。
これはもともと人間社会の集団の中ではそれほど重視されていたものではなかったらしい。
それぞれが自分の集団の中で自分の力を発揮すれば十分に人は幸せであったらしい。
しかし社会が大きくなるにつれもっと大きな集団になると共通する評価基準が適応される。
成績が良い、顔がイケメン顔、背が高い、運動神経が良い、全てにおいて正解が生まれる。
その競争に勝った人だけが脚光を浴びるからみんながそれを目指す。
自分の立ち位置で活躍するという発想が見えにくくなる。
また世間の山、王道の山はわかりやすいしみんなも登っているし評価基準も明快だ。
それに対して自分の山は自分で作らないといけないし、登るのも自分だし、評価するのも自分だ。
これはある程度作って登って自分で評価を繰り返していかないといけない。
山としての価値がまだ生まれないからだ。
その代わり競争の質が変わる。
強いかよりも有用であるかになる。
スポーツでもホームランを打ったりゴールを決める人など王道的な強さがある。
しかし自分の山を登る人は守備に徹したり、サポートに回ったり自分な力の力の発揮の仕方をする。
どうしても目立つ人のほうが目立ってしまうが、その分その道程はハードだろう。
毎年ホームラン争いをしどんどん強い人が現れてくる。
しかし自分のポジションにいて自分の山を登り続ける人は目立たないが、見ている人は見ている。
評価基準が競争に勝つことよりもいかに自分が活躍するかになる。
活躍というか有用に動けるかだ。
そうした自分なりのポジションを確保し自分の山を登るのであれば、そのうち王道じゃなくても十分に満たされるようになるだろう。
そして唯一無二の存在になるはずだ。
とかく王道で勝負をしようとするとどうしても大多数の人は不利になる。
王道に近い人のほうが有利だからだ。
しかし放っから王道を諦めて独自路線を貫くのであれば、トップオブトップにはなれないけれどもかなり味のある生き方ができるだろう。
何より自分が一番気持ちが良いのだ。
もちろんそれには勇気がいるが、勝ち目の少ない王道で勝負するよりもずっと多くの実りをもたらしてくれる。
だから放っから独自路線で行ったほうが有益だのだ。


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