生きた結果自分が作られる

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最近思ったことで盲点だったのが今まで僕は自分のイメージが先にあってそれに沿って生きてきたということだ。

こういうふうに見られたいというのが先にあってそれにいかに自分を近づけるかのゲームだった。

仕事ではこういう感じのキャラで人間関係ではこうしたイメージの人間でと先に自分のイメージが有った。

そして人生はそれにいかにして達成していくかのゲームだった。

しかし今ではそういったものは手放していて、ただ目の前の出来事にきちんと対応をして生きている。

ちゃんと会話を成立させたり受け答えをしたり。

そうしてまるという性格ができていく。

だからまずは自分の生き方があってその後に自分という性格が来る。

だからどんなキャラになるかはあとから来るのだ。

自分の生きた結果自分という人間が作られる。

はじめから自分というキャラを演じるのではなかったのだ。

思えばこうした生き方は普通なのだと思うが、実際にはどうなのだろう?

思うにここまで自分の生き方を作ってきたからこそ、改めて作る必要がなくなったように思う。

だから生き方が最初決まっていない頃は自分なりのキャラに沿って生きざるを得ないように思うが実際のところはわからない。

あとからGPTに聞いてみよう。

多分自分なりの生き方が出来上がらないと自分の生き方はできないし、そうなると以前の僕のようにあるべき姿であろうイメージを生きるしかないような気もするが。

ようやく僕は自分の生き方ができるようになったのだ。

その結果まるという性格というか世間から見えるキャラというものが出来上がるであろうが、そんなものは結果なのであってもはやどうでもいいとも言える。

結果は操作できないのであってそんなものは気にする必要はないのだから。

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