良いことも悪いことも受け入れると愛に変わる

物事には2面性がある。

食べれば太る。食べればおいしい。

誰かに好かれれば、誰かに嫌われる。

コインに表があれば裏がある。

昼があれば夜がある。

このように世の中は2つの面が同時に存在し、

幸せなことがあればそれと同量のいやなことが実は起こっている。

もし幸せな事ばかり起こると思っているのであればそれは錯覚であり

もし不幸な事ばかり起こっていると思っているのならばそれは誤解である。

思いようによってはつらい時には少しの良いことをとても大きく感じられるから

それで釣り合いが取れていると思うことも当然なのだが。

ともかく、空けない夜はないやまない雨はないとよく言われるが

実際には良いことと悪いことは同時期に同量だけ起こっているのだ。

良くある話がとても楽しいことがあるのに、それを台無しにするかのように文句を言う人がいたり、

つらい時にかけられた優しい言葉がとても身に沁みたり、なぜかそういう時に限ってそういう優しい人が現れたり。

だからこの世のものはすべて陰陽同量で存在するので、それらがちょうど同量になるように必ずバランスを取ろうとする。

それではいいことも悪いことも打ち消しあって結局プラスマイナスゼロで意味がないのかというと2つの面でそれは違う。

1つ目には良いことがあっても悪いことがあってもそのどちらにしろ経験というものは必ず残るからだ。

要はその積み重ねで物事を進める、高めていくことができる。

人生はそれでどこまで進んでいくか高めていくかにかかっている。

2つ目にはこれがとても重要なのだが、

良いことも悪いこともそのどちらも受け入れると、愛と感謝の気持ちがわいてくるということだ。

この二つが合わさってそのどちらも受け入れれば、

愛と感謝をもってより自分の人生を作り進めていくことができる。

これが人生の秘訣だ。

私たちがたいていしてしまう良くある間違いが

良いものだけを受け取ろうとして良いものだけを求めてしまうことだ。

そうなると正負の法則から

世の中には正と負が良いことと悪いこと両方が同量だけ降りかかるという原則から

必ず悪いことも同量だけ起こるのに

その悪い部分を許せなくて苦しんでしまうところにある。

もちろん悪い部分に苦しんでもそれだけの経験や積み上げる人生というものはもらえるのだから悪いことではないけれども

どうせなら悪い部分も受け入れてしまえば、おまけで愛と感謝の気持ちをもって受け入れることができる。

これが人生の秘訣だ。

良く一喜一憂しないといわれるがこれはその通りで、良いことと悪いことは当然同量だけ起こるのだから喜んだり悲しんだりしてもしょうがないのだが

この言葉の本当の意味は、一喜一憂しないというより良いことも悪いことも両方受け入れると愛と感謝が生まれるということなのだ。

だからしないという表現では受け手としては不十分で

正と負を両方受け取るが正しい。

そうすると人生の本質がわかって、ありがたく受け取り

愛と感謝が生まれるのである。

もっといろいろな情報に触れよう

物事をいろいろ試してくるとだんだん自分に合ったやり方がわかってくる。

そうしてやればいいものが絞り込んでこれてだんだん最小限のやり方で済むようになる。

だけれどもそれで安定していても人間というものは変わっていくものだから

そのやり方もいずれ役に立たなくなる。

そうしたときに手持ちの少ない手段だけでは到底太刀打ちできなくなるだろう。

悲しいかな人間は変わるのだ。

その人が変わらなくても周りの環境だっていつまでも同じではないのだ。

そうしたときにやはり手っ取り早く変わるに限る。

そうしたときにこれまでとは状況が変わるのだから

今までの選択肢では歯が立たない。

そうしたときにはとっとと諦めて

どどっといろいろな情報を流してみよう。

決め手は自分で生み出すのをあきらめて周りからの横流しだ。

0→1を生み出すのは素晴らしいけれども

今の世の中毎日全くの0からではむつかしい。

そうではなくいろいろな情報に触れてみると生み出しやすくなってくる。

こういうのは周期的で

全くの外界の情報を遮断して自ら生み出し続けるときも大事だけれども

いずれそれも枯渇するから

ほかの人の情報を取り入れれば

その波に漂っていれば

そこからあふれ出たもので十分生み出せる。

その両方のやり方を交互に行き来する感じだ。

およそ3カ月あるいは半年もすればその周期は入れ替わる気がする。

無理に自力で生み出し続けなくても

周りの情報をじゃぶじゃぶ浴びてポコッと生み出せばいいのだ。

失敗は成功の母である。

自分から失敗を取りに行くつもりでいると気分が楽な時がある。

覚えておくとよい。

のんびりする

実は人生は一直線に行くわけではありません。

めきめきと伸びていても疲労だったり飽きだったりが来ます。

そんな時は今までやってきたことから降りるのは得策ではありません。一時的な疲れの場合があるからです。そもそも降りたからと言ってそういった状態の時に次のものが見つかるとは限りません。

まずはいったん休みましょう。

のんびりするもの

  • 湯船にのんびりつかる
  • ヤマダ電機のマッサージコーナーの無料のマッサージをする
  • プチ贅沢をする
  • 自分の現状を振り返ってみる
  • 数字で自分の状況を見る
  • 掃除や自分自身のケアに時間を使う
  • 新たな道に目を向ける

こういった自分自身のメンテナンスをしてこそのその道の達人といえるでしょう。

むしろ自分自身が最大の資本なのですからそのお手入れは持ち主である私たちにとって一番大切な作業とも言えます。

なので疲れていたり物事がうまくいかなくなったときは陰陽の陰に入っていると考えてきちんとメンテナンスをして自分自身のケアをしましょう。

できる状態でいる事

人生で大切なことは自分が自分の人生の線路を歩んでいることだ。

ただレールに乗ってぼーっと生きているのではなく自ら歩んでいるという実感が大事なのである。

それにはどうしたらいいかというと物事や人生を自分事としてとらえる事とマインドフルな状態でいる事だ。

マインドフルとは気づいている注意深いという状態のことで、瞑想や呼吸法でそういう状態でいる率を増やすことができる。

そういう精神状態でいると仕事とか趣味とかでただやるだけではなく自分がそれをやるのだということを自分事としてとらえる感覚を持つことができる。

そうすることで仕事も趣味などの活動もめきめきと上達することになる。

そうして人生においてあらゆることに気づいた状態でいるのでここはこうだろう、次はこうするのがいいだろうと自分で自分の歩む道を決めていくことができる。

テレビでちこちゃんがぼーっといきてんじゃねーよーと言っているが、気づかないうちに人は眠った状態で日々過ごすことになる。

よっぽどか意識して自分の意識を目覚めた状態でいないと頭が静かにかつみなぎった状態にはならない。

というより意識すると頭が乱れるので静かにみなぎった状態にはならない。

そうなると方法はただ一つ、家で時間をとって瞑想の時間を作るのだ。

そうすると普段でもマインドフルな状態でいられることが増えてくる。

そうした精神状態でいると人と穏やかに接しれたり状況を判断できたり状況に応じた行動ができるのでこれはやらない手はない。

というわけで私は瞑想をしているのである。