人生は振り子の様

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人生は振り子の様。

ある方向まで振り切ってから今度は反対の方向へ進んでいく。

というのも最初はなかなかいい手段を見つけたと思ってやっていると、過ぎたるは及ばざるがごとしで今度はあまり良い結果を生み出さなくなってくる。

だけれどもいったんその方法がうまくいっていたからなかなかやめられないのだ。

これといってほかのやり方も思いつかないし。結果も出ない。

だけれどもなぜだか方向転換をする気にもなれない。というのも変えようと思うのだけれどもなかなかその気が起きない。

そうこうして3か月。そしたら振り子の端まで振り切って今度は逆方向に振り始めた。

これで中央まで向かううちはいいのかもしれない。中庸な状態に近づいていい感じかもしれない。

しかし経験上、いい状態の後は悪い状態が待っているので、おそらくこの先もだんだんあれ?うまくいっていたのにうまくいかなくなってきたとなるだろう。

でもそう思ってもなかなか方向転換ができないだろう。

方向転換の方法も見当たらないし、いいアイデアが浮かんでもなぜだかやる気が起きないといった感じになるかもしれない。

結局ボールが振り子の端まで振れてからまた流れが変わるのだろう。

多分あがくと思う。あがかないと方向が変わらない気がするし。

なんで変わった?

ではなんで振り子の方向が変わったのだろう?

端まで振り切ったから?

理由はわからないけれども、直近のきっかけなら説明できるかもしれない。

この3カ月間アクセル踏みっぱなしだったのだけれども、なぜだか物事がうまくいっていないというのはわかっていた。だけれどもそれを上回る速度を出せば乗り切れると思ってしまったのだ。

いったん止まるというのができなかった。

それまでの人生の進行が止まってしまう気がして。

結局すべてが止まって諦めて、それまで頼っていた心の中でエイッって唱えるのをやめた。

ちょうどタイミングは合うもので、もうエイッって気合を入れなくても日常生活で自分を保てるようにはなっていたので。

それでエイッっというのをやめたら1週間くらいしたらすっごい楽になった。

再びユーチューブの動画つくりを始めれた。

思うにすべてのことはすべてつながっていて、エイッっと唱えるのがもう十分力が付いたからやらなくてよくなっていたのだろうし、だから気合全開押しまくるという人生ももう無理だったし、いやだった。それまでの方向ももう進みたくなかったし。

すべては全部一致しているのだと思う。

結果としてもうエイッというのをやめて、穏やかな方向に舵を切って、結果としてとてもうまくいくようになった。

そうなると結局こうなる運命だったと言ってしまったら元も子もないが、あがいた分その時計の針は早く進めれたかもしれない。

だからあがかなかったらもっとゆっくりとした経過をたどっていたのかもしれない。

だから思いたいのはあがいたからより遠くへ高みへ行くことができると思いたい。

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